ギドク関連の書籍を紹介したいと思います。


アリラン坂のシネマ通り


『アリラン坂のシネマ通り』 川村湊

 文芸評論家の川村湊が記した韓国映画についての本。流行りの韓流映画というよりは、韓国映画の歴史を振り返る側面もあり、第1章の「韓国映画の歴史を歩く」に登場する映画などは、ほとんど知らないものばかりだが、その後の第2章、第3章で取り上げられる映画は日本でもレンタル店などで観ることができるものが多い。
 キム・ギドクは韓国映画の新しい流れを生み出した監督として、パク・チャヌクとともに紹介されている(p.84〜p.101)。中心になっているのは『悪い男』についてで、「監禁」という主題から論じられている。韓国映画の歴史に詳しい川村は、1970年代後半から80年代にかけて多く作られた“女性転落もの”の流れのなかに『悪い男』を位置づけている。
 また『鰐』については、ラストは「“閉ざされた空間”と“閉ざされた幸福”というモチーフがある」と指摘しており、登場人物たちが社会から「監禁」されることを嫌い、はみだした浮浪者であることにギドクのユートピア思想を見ている。短い論考だが学ぶところも多い。ギドク論とは別だが、愛する監督として名前を挙げているイ・チャンドン論もいい。
 ちなみに『魚と寝る女』の邦題に関しては、主人公の女には韓国の伝説的な“魚女”のイメージがあるから「魚と寝る男」のほうが適切だとか(ネットで“魚女”と検索しても何もひっかからないけれど……)。
 (2013.07.22更新)

Kim Ki-duk


『Kim Ki-duk』

 2006年に出版されたギドクに関する評論。
 「BREAK ON THROUGH」「KIM KI-DUK, SERIAL PAINTER」「SPOKEN WORD IN SUSPENSE」「IN THE MIRROR OF SILENCE」という4つの評論(論者たちはフランス系の名前かと思う)と、「BLACK AND WHITE ARE THE SAME COLAR」と題されたギドクのインタビューで構成されて、白黒(一部カラー)のスチール写真も80枚ほど掲載されている(画質は粗い)。
 2006年出版ということで、『弓』までのギドク作品についての分析がなされている。英語で書かれた本なので、正直きちんと読めているのかと言えばあやしいのだが、一応何とか読んだので感想を。

 巻末のインタビューでギドクが語っていることは、「黒白同色」という独自の概念で、これは第十五作『悲夢』で展開されるわけだが、4つの評論を書いた論者たちにも影響を与えているようにも思える。
 『弓』のことに関しては4人の論者の誰もが取り上げていて、映画のなかで使用される弓が武器にもなれば楽器にもなるというアイテムとして、矛盾を抱えたまま成立するものとか、反対物が調和するものとして考察の対象とされている。そうした論調は韓国の国旗に描かれている“陰陽”に結びついたり、『春夏秋冬そして春』に禅の境地を見出したりするようにもなる。これらは西洋から見た東洋という意味で、多分にオリエンタリズムとかエキゾチシズムといった要素に彩られているように思える。東洋の観客としては、西洋から見て意味不明の何かを、無理やり意味不明な東洋的イメージに結びつけたとしか思えない。
 また、ギドクが韓国という国をよく表している、韓国的な映画監督だと指摘している論者もいて、ちょっと奇妙な気もする。たとえば黒沢明や小津安二郎は日本を代表する映画監督とは言えるが、日本人が黒沢や小津の映画を観ても、日本的な映画監督だとは思わないだろう(後期の小津の題材は日本的かもしれないが)。
 ギドクを論じた本があまりにも少ないので、英語の本にまで手を出したものの、読むのに膨大な時間がかかるにも関わらず、それほど有意義な指摘は見付からなかったような……。
 (2014.09.15更新) inserted by FC2 system